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いともたやすく行われるえげつない雑記

東大を卒業してプロゲーマー!?「ときど」の半生がヤバすぎる!

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※2017年7月17日に更新しました。


みなさん、東大って知ってます?
そう、東京大学のことです。

東大を出たら官僚、一流企業、研究者……
名刺カードバトルで最強になれるような職業が目白押しですよね。

しかしそれらの超絶魅力的な職業に就かず、プロゲーマーという修羅の道を歩んだ猛者がいます。
その人物が「ときど」こと谷口一です。 

※追記:「Evolution 2017」の「ストリートファイターV」部門で、ときどさんが優勝!賞金1万6000ドルを獲得しました!
おめでとうございます!

 

「ときど」とは?

1985年沖縄県那覇市生まれ。プロゲーマー。

麻布中学校・高等学校卒業後、東京大学教養学部理科1類入学。
東京大学工学部マテリアル工学科に進学、卒業。
同大学院工学系研究科マテリアル工学専攻中退。

2010年、日本で二人目となる格闘ゲームのプロデビュー。
年間に出場する国際大会は一〇を超え、大会実績として、World Game Cup 2013優勝、EVO2013準優勝、Id global Tounament 2014優勝など
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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学歴ハンパなくないですか!?
麻布中、高からの東大理一ですよ!?
ガチガチの学歴エリートです。

そんな超絶エリートの彼は現在はプロゲーマーという職業に就いています。
ゲームを好き放題できて楽しそうというイメージがあるかもしれません。

しかしそんな甘っちょろい意識では、プロゲーマーは務まりません。
彼は一日最低8時間はゲームをしています。
最低8時間ですよ!?

ときどは「普通の会社員の勤務時間と同じだから大したことない」と述べていますが、めっちゃ大したことあるわ!
8時間ひたすらコンボ練習に励むこともあるとか、発狂してもおかしくないよ!


ゲームをしていない時間は、食事か身体を鍛えるかぐらいしかしていません。
鍛えている理由は

「(メンタル的には)何時間だって窓もない部屋でゲームをしていられるが、体力的にはそうもいかなから」

とのことです。

そのストイックぶりは外資系サラリーマンの友人から「バリバリの外資系サラリーマンみたいな生活だ」と言われるほどだとか。

更に特徴的なのは、彼のゲームをしているときの顔つきです。
こちらをご覧ください。

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やばくないですか!?
暗殺でもするんじゃないかって感じですよね。

海外では
「まるで殺し屋の顔つきだ!」
と実況され

「Tokido with the murder face」


とコメントされるほどです。


でも冷酷無比な人物かと言われると、そんなことは決してないです。
かなりお茶目な部分もあります。

代表的なのは「リアル瞬獄殺」でしょう。

www.youtube.com

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本当に冷酷無比だったら、こんなことしないですよねww


ときどがどのような人物か、なんとなく分かってきたと思います。
彼がどのような経緯でこのようになったのか、次はそれを見ていきましょう。

幼少期〜高校生

 ゲーム、ゲーム、勉強、ゲームって感じです。

 

……いや、雑すぎるまとめで申し訳ないんですけど、本当にこの一文に尽きるんですよ。

ゲームができるときはひたすらゲーム、ゲームできないとき(学校や電車内など)は勉強という生活を繰り返し送っていました。
最低でも一日5時間はゲームをしていたとか。

しかし彼は大学教授であった父のおかげで、勉強自体は嫌いではなかったのです。

そんな生活を送ったおかげか、中学は偏差値76の麻布中学へ。
17歳で「CAPCOM VS SNK2」というゲームのトーナメントで世界一にまで登り詰めます。
まさに文武(?)両道の極みです。

世界一になった後は、受験を控えます。
目指すは東大。

ときどの父が2浪しても行けなかった大学です。
だからこそ、彼の進路は東大以外有り得ませんでした。


しかし結果は不合格。
これが彼にとっての初めての大きな挫折でした。

ありえない浪人生活

浪人当初は意気消沈していたときど。
しかし学力が思いの外簡単に上がり始め、夏頃にはA判定が出るようになりました。

これで彼は早い段階で安堵するします。
そうなると当然、ゲームをまた始めるようになるのは当然ですね。

浪人期後半は、朝10時〜19時は勉強し、そこからゲーセンへ移動して23時までゲームをするという驚きの浪人生活を送ります。

こんなふざけた浪人生でしたが、東大にしっかりと合格。
無事に東大生になります。

なぜこのような浪人生活でも東大に受かったのか。
ときどは「切り替えが完璧だったから」と分析しています。

というのも、彼はゲーセンがどんなに盛り上がっていようが、帰ると決めた時間には必ず退店していたというのです。

この「切り替え能力」がなければもっと苦労していただろうと、ときどは振り返っています。


更に彼は浪人中に

「格闘ゲー大会に比べれば、受験はラクだ」

という発見をします。


彼いわく

「大学受験は一発勝負のイメージが強いが、模試で『あなたは今この位置です』と自分の立ち位置を教えてくれる。

これを元に何度でも調整できるし挑戦できる。
そして過去問で合格圏を出し続けられるようになれば、本番でも集中さえできればほぼ合格できる。

それに対して格ゲー大会は、一回負ければ終わりだった。
現在は3試合先取や10試合先取といった長期戦が主流だが、当時は1試合先取という文字通り一発勝負だったのだ。」

だから受験は格ゲーよりも簡単だと分かり、安心し、本来の実力を発揮できたとのことです。

大学4年生でゲームから離れる

無事東大に進学したときど。
勝利をひたすら求めて合理的なプレーで次々と白星を積み重ねていきます。

しかしそんなゲーム漬けの彼が、4年生でゲームから距離を置くようになります。
浪人中ですら散々ゲームをしていたのに、一体なぜなのか?


「研究」にドハマりしたからです。
バイオマテリアルという人工骨や人工臓器に関する研究に、完全にハマったのです。

朝から晩まで研究、研究、また研究の日々。
もちろん研究自体が面白かったのも理由ですが、彼がここまで研究にハマったのには別の大きな要因があります。

それは恩師の存在です。
恩師のSさんは、ときどがゲームをしているときのように夢中で研究をしていました。
そんなSさんに共感し、興味を覚えたことが、ときどをここまで研究に没頭させたのです。

ときどとSさんは、それはもう充実した日々を送ります。
同じ情熱を持つ人間と、同じものに向かって打ち込めるんですから、こんなに楽しいことはないですよね。

しかしそんな夢のような日々は長く続きませんでした。

取り返しのつかない失敗

東大理系学部の学生の多くは、大学院に進学します。
もちろん、ときどもそうするつもりでした。
バイオマテリアルコースの研究室に残って研究をする予定だったし、当然のように残れると思っていました。

希望の研究室に入れるかどうかは、大学院入試(院試)の結果で決まります。
ここで彼は、他大学生に負けてしまいました。
つまり、バイオマテリアルの研究室に入る資格を得られなかったのです。


ゲームと同等、もしかしたらそれ以上の圧倒的な情熱を向けていた研究に携われない―――

彼はこの残酷な現実を受け入れることが出来ませんでした。
合格切符を奪い取っていったのは慶應と京大の学生。

京大生にいたっては合格を蹴ったというのですから、その時の彼の心情は計り知れません。


「待て待て、誰よりも研究に没頭し成果も出した僕が、もう研究させてもらえない?

没頭するあまり試験勉強がそこそこになってしまったことは認めるけど、これはあんまりじゃないか?」


彼は研究成果や情熱を評価してくれない大学のシステムに失望してしまいました。
研究さえさせてもらえれば、確実に良い成果を収める自身があるのに……。

悔しさは人一倍で、どす黒い感情でいっぱいでした。
でも彼が何よりも忘れられないのは、院試の後の飲み会の恩師Sさんだとのことです。

Sさんは、普段はすごく穏やかな人なのに、僕が落ちたことに対し

「ちきしょう!」

と大声を上げた。

僕は泣きたかった。
もう、Sさんと一緒に研究をすることはできない。

Sさんは、その年を最後に東大を離れた。
研究室に残る道もあったのに、別の大学で新しいチャレンジをしたいといって、去って行った。

別れ際、Sさんはこういった。

「お前がいるんなら、研究室に残ったかもしれないけどな」

いまでも、思い出すだけで涙が出る、忘れられない別れの言葉だった。

『東大卒プロゲーマー』P117~118より

不覚にも、自分はこの部分を読んで泣きそうになりました。
最初は「いやいやww勉強しなかったのが悪いやろww」と思っていましたけどね……。

院試の結果で研究室が決まるのは、今の日本では当然のことです。
でも普通に考えたら、本来の研究に情熱も結果も出せる人間が優先されるのが一番良いはずですよね?

そう考えると、今回の様なケースは理不尽だなあと。


結局ときどはどうしたのかというと、いわゆる「就活に強い研究室」を選びました。

研究内容は理系でありながら文系っぽいという少し変わった毛色のもので、心機一転しようという気持ちも多少ありました。

しかし彼はここでも挫折します。
以前の研究室で培った手法が全然通用しないのです。

ここで必死に食らいついていれば目が出たのかもしれません。
だが、彼にはもう以前ほどの情熱がありませんでした。

この研究室には本気になれるものがないと逃避し始めます。

そこで彼はどうしたのかというと、学部時代の研究を進めることにしました。

ゼミの先生(Sさんとは別)から
「院に進んでも研究を進めて、これまでの研究成果を論文にまとめてみてくれ」
と言われていたからです。

もちろんこれは「本来やるべき院の研究の合間に」という意味です。
しかしときどは院の研究は一切やらず、過去の研究に打ち込みます。

新しい研究室の挫折から逃げているだけだと自覚しているからか、この過去の研究にもかつてのように情熱的に取り組むことが出来ませんでした。

新しい研究室には籍だけ置いている状態、研究もしない、修士論文の準備もしない、単位を取得する気も全然ない、もうどうにもなりません。

かつて彼を突き動かしていたものは、既に失われてしまったのですから。

国際学会で賞を受賞

過去の研究に打ち込んだ結果、ときどは国際学会で賞を受賞するという快挙を成し遂げます。

思い切りやらせてもらえれば、これだけの結果を出せる。
彼は賞のおかげで、そう確信できました。


しかし国際的な賞を取ったからといって、希望の研究室に入れるわけもありません。
そのせいで不満はむしろ募りました。

大学側も分かっているのです。
成果をあげた研究者から研究の道を奪うことが、どれだけ大きな機会損失につながるのかは。

でも研究者が試験にしくじったのでは、救済することはできません。
そんなことは大学のシステムが許さないからです。


賞をもらったところでなんの意味もない。
情熱をもって取り組めるものを、永遠に失ってしまったのだから。

情熱に浮かされて物事に取り組むことを知ってしまった者にとって、情熱なしの人生など味のしない飯のようなものなのだと、この頃の僕は気づいていたのだろうか。

『東大卒プロゲーマー』P122より

こんなボロボロだったときどは「教務課にかけあって、以前の研究室にねじ込んでもらった人がいる」という噂を聞きつけます。
そんなことがあるわけないのに、教務課に行き直談判します。

そして一蹴されました。
普段は優しい教務課のお姉さんに

「何いってるの?そんなこと、できるわけないでしょ!」

と般若のような形相で言われてしまいます。

この時の彼は、完全に冷静さを失っていました。

自問自答の末にたどり着いた恐ろしい答え

挫折といっても、学生時代に多くの人が経験しそうなものばかりです。
それなのになぜ、ときどはこれほどまでに大きな挫折だと感じてしまったのでしょうか。

  • 一つのことにとことん没頭する僕の性格は、「考えないため」「悩まないため」の行動だったのではないか

  • この性格は「没頭すればそれ以外のことを考えずに済む」というメリットを睨んでのことだったのではないか

  • その没頭する対象であった「ゲーム」を離れ、更に「研究」を失ったため、それまでに見ないで済んできた人生の悩みが一気に押し寄せてきた

一つのことに没頭するというのは、一見良いことのように思えます。
しかしそれは裏を返せば、他のことに対する思考を放棄しているとも言えるでしょう。

これまでに没頭するもの以外考えなかった人間が、没頭する対象を失ったらどうなるのか。
また別に没頭できることを見つけられればいいですよ。

しかし今までに自分の人生を真剣に考えてこなかった人には、それを見つける方法が分からない。

没頭できるものが無いから、死体のように生きるしかない―――

ときどは思考の結果、このような考えに至ったのです。

公務員になろう

研究はダメ、ゲームにも以前のような情熱を向けられない、だったら就職かな……。
ときどは色々な人に相談した結果、消去法で公務員になることを決めます。

ボロボロだった彼には、公務員の「安定」という言葉が癒やしになったのです。


しかし完全に公務員への道を決意する前に、どうしても話を聞きたい人物がいました。

それは「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」ことウメハラです。


ウメハラの答えは

「俺が東大を出ていたら、こんな(プロゲーマーみたいな)生き方はしないよ」

「東大卒で就職して、そこでまたモチベーションの湧く仕事が見つかるかもしれない。それはやってみないと分からないから、『東大』を捨てる手はないと思うよ」

ときどはがっかりします。
「麻布や東大の同級生と同じじゃないか。わざわざ会ってもらう必要もなかったのかもしれない…」


しかし話はこれで終わりではありませんでした。

ウメハラ
でもね。本当に好きなことなら、チャレンジしてみるのも悪くないと思うよ。1回しかない人生なんだから」

好きなゲームを仕事にしている人が、人生は1回だけだと言っているのです。
プロゲーマーという生き方もあると、身をもって証明している人間が、です。


このウメハラの言葉は、ときどの心に禊のように打ち込まれました。
しかしそれでも、プロゲーマーは進路の選択肢にはなり得ませんでした。

夢が目前に

2010年9月、公務員の最終面接が目前の頃です。

ときどの元に、一通の英字メールが届きます。
それはなんと、アメリカのThe Traveling Circus(TC)というアパレルメーカーからの、プロのオファーだったのです。

これで念願のプロになれる!
…とはならず、むしろ心が揺らいだとのことです。

満足のいく契約条件じゃないし、このスポンサー1社だけでは食べていけるだけの収入が得られない。
その先の人生プランがめちゃくちゃ不透明だったのです。

それにときどはこの頃には、もう公務員になることに納得しかけていました。
納得しかけていましたが……

決意

ときどが取った行動が「相談」でした。
10人以上には相談したとのことです。

大半の人は「よくわからないしやめとけば?」「せっかく東大出たのに」「不安定すぎる」という反応でした。
まあそりゃそうですよね。

唯一プロゲーマーに前向きな反応だったのは、大学院の先輩です。


「東大を出て官僚になるなんて、あなたじゃなくてもできること」

「東大を出て普通のことをやっても、それは『あなたにしかできないこと』ではまずないだろう」


東大を武器にするといっても、世の中には腐るほど東大卒がいます。
東大の看板が強いのは就職のときぐらいではないか。
一理も二理もある意見です。


親にも相談しますが、これまた興味深い答えが返ってきました。

「分かっていないかもしれないけど、この業界が、お前の考える通りに発展していったとしたら、『東大卒』の肩書きもきっと、そこで役立てられるはずだよ」

これには目から鱗だったときど。
何もプレイヤーだけではないです。
大きな運営組織が必要になったら、その前面に立てるかもしれない。

東大卒なりの貢献が出来るかもしれない。

それならプロゲーマーになったとしても、東大に入ったこと、東大で学んだことは無駄にならない。

もう情熱の芽のない場所では生きていけないのです。
そして公務員かプロゲーマー、どちらのほうが情熱を燃やせるのか。

答えは決まりきっています。
最終面接辞退の連絡を入れました。


院試では制度に縛られ、この制度の中では本領発揮できないと絶望しました。
でもゲームの世界なら、自分で制度を作り出せるチャンスすらある。

好きなことに前のめりになった僕に、できないことはない。
しかもこれは、自分で自分の心に灯した自分の火。
他人頼りの火ではないのです。


やったろうじゃないか。僕はプロゲーマーになるのだ―――


こうして、ときどはプロゲーマーになります。

最後に

いかがでしたか?
なかなかアップダウンの激しい半生じゃないですか?

実はプロゲーマーになった後も色々とあるのですが……。
ここまででかなり長くなったので、気が向いたらプロ以降の話もまとめたいと思います。
早く知りたい!という方は、コメントを送るか東大卒プロゲーマーを読んで下さい。

ていうか超絶良書だったから絶対読んだほうがいいですよ。
この記事で興味が出たならマジでオススメです。

ではでは!

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